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6 ジュゴンの保護のゆくえ

 ジュゴンは、日本では戦前には「史跡名勝天然記念物保存法」で、戦後の日本復帰前の琉球政府時代には「文化財保護法」(1955年1月25日)で、復帰後は「文化財保護法」によって、天然記念物に指定されています。

 1990年頃まで、沖縄全域のジュゴンは絶滅したと考えられていました。特に、戦後の食糧難の時代のダイナマイト漁で乱獲されたのが原因だったようです。著名なジュゴン研究者・神谷敏郎教授は、その著書「人魚の博物誌」(1989年刊)の中で、

「国の天然記念物であるジュゴンの姿は、もはや見ることはできない。かつてのベーリング島で大海牛を絶滅に追いやってしまったと同じ罪を、われわれは日本のジュゴンについても犯してしまった。毎年、奄美や沖縄には紺碧の海に魅せられて、大勢の人たちが訪ねるが、この海を日本の人魚の終えんの地として理解し、瞑想にふける人が何人いようか。」(4頁)

と記している程です。

 狩るのが簡単なので、ジュゴンの肉・骨・皮を狙っての密漁が世界中で絶えません。肉には不老長寿伝説があり、高く売られます。骨は象牙の代用品になるくらい硬く、漢方薬にも使われます。

 また、刺し網や定置網に掛かる事故も多く、しかも保護動物なので漁師が事故を届ける煩わしさを避けて、秘密のうちに食べたりして処分してしまうこともあるそうです。ムツゴロウのあだ名で有名な畑正憲さんは、1969年頃に沖縄・八重山諸島へ行き、ジュゴンの聞き取り調査をした際、数十人の漁師がジュゴンの肉を食べた経験をもち、さらに1年前(1968年頃)にも玉置という漁師が実際にジュゴンの肉300グラムを手に入れた話を入手しました。

 漁師は魚をとるのが仕事ですから、ジュゴンの混獲や環境保全を気にしていては生活が成り立たないのです。ただ、刺し網と定置網が原因で発見されるジュゴンの死体が多いため、どうにかして良いアイデアを早く出さねばなりません。

 かつて八重山諸島ではジュゴン漁が盛んでしたが、1980年以降の20年間は、ジュゴンの発見記録はありません。1999年に日本自然保護協会の助成で行われたジュゴン調査は、資金の不足で充分な調査とは言えませんが、八重山ではジュゴンは絶滅した可能性が高いとの結論を下しました。それは、

  1. セスナ機からの目視でも見つからず
  2. ジュゴンが海藻を食べた跡(ジュゴン・トレンチ)も見つからず
  3. 沖縄本島より定置網の数が多いにもかかわらず、ジュゴンの混獲がなかったからです。

 宮古島や多良間島でも絶滅したと考えられています。

 そのような野生のジュゴンが、ある程度まとまった数で沖縄に生き残っていると言われ出したのが、1997年頃からです。そして皮肉なことに、そのジュゴンの住む海域にアメリカ軍の新しい基地を作るという計画が持ち上がり出したのも、同じ1997年からなのです。

 沖縄県・名護市の市民の間から、ジュゴンを守ろうという運動が生まれました。「ジュゴン ネットワーク沖縄(旧・LOVE ジュゴン ネットワーク)」の結成です。このグループは1997年12月7日に名護の海で、第1回のジュゴン探索をし、ジュゴン・トレンチらしきものを2ヶ所発見しました。

 そしてついに、1998年1月13日、日本テレビ那覇支局が野生のジュゴンの映像(日本最初)を撮ることに成功し、いよいよ動かぬ証拠があがりました。同じ年の8月には、NHKが同海域で野生のジュゴンの水中撮影に成功(これも日本最初)。その後、1999年10月15日に「ジュゴン保護基金」が設立されるなど、ジュゴン保護の気運は盛り上がっていますが、日本政府はアメリカ軍基地建設の計画を変えようとはしません。

 アメリカ軍基地は、二重三重の意味でジュゴンを死に追いやります。

 まず、海の上に作ろうとしているヘリポート基地の建設予定地は、沖縄本島でも数少ない海藻の豊かな海です。それは、沖縄県自身が自然環境保全指針で「評価ランク1」(もっとも厳しく環境を保全しなければならない区域)を与えている程なのです。海藻は光合成をするので、「太陽の光」と「海水の透明さ」が欠かせません。しかし、海上の基地は太陽の光を海藻から奪ってしまいますし、基地から垂れ流される汚水や油が海水の透明さを奪ってしまうのは、目に見えています。海藻はジュゴンのエサになるだけでなく、海藻の出す酸素が魚たちにとって良い環境を作り出し、サンゴ礁の豊かさにつながってもいます。これはジュゴンばかりでなく、サンゴ礁全体にとっての大問題なのです。

 また、陸上に作ろうとしているヘリパット基地は、赤土を生み出し、海をにごらし、海藻やサンゴ礁を死滅させてしまいます。さらに、陸地の開発は、陸から海へ伝わっていく栄養分をさえぎることになってしまい、サンゴ礁の豊かさが消えてゆくことになります。

 第3に、ジュゴンは大変耳のいい動物なので、ヘリポート基地の爆音は、大きなストレスになります。消化器官の長いジュゴンにとって、ストレスは消化不良の原因になり、海生ホ乳綱の命取りともなります。これはジュゴンを保護しようとする人々にとっても大切なことで、調査に熱が入るあまり、むやみにジュゴンを追い回すと、かえって悪い結果を招きます。現在でも名護市・辺野古は、アメリカ軍海兵隊の訓練海域に入っていて、演習も行われています。こういった事も早急にやめてもらわねばなりません。

 海藻の死滅を通じて、またストレスを通じて、アメリカ軍の基地はジュゴンを取り返しのつかない状況へ追いつめてゆきます。

 その他にも、埋め立てによって海藻場がなくなったり、不発弾の処理にジュゴンが巻き込まれるなどの問題も残っています。粕屋俊雄教授(三重大学)は、ジュゴンを保護する上では、「餌場、休息場、そしてこの2つをつなぐ水路」の3つを確保しなければならないと警告しています。

 では、ジュゴンは国際的に、どのように貴重な動物だと考えられているのでしょうか。

 IUCNのレッドデーターブックには、下のような4つのランクがあります。

「絶滅種」
すでに絶滅した種
「野生絶滅種」
野生では絶滅した種
「絶滅危機種」
絶滅のせとぎわまできている種
「準危急種」
保護しないと「絶滅危機種」になってしまう種

 ジュゴンは3番目の「絶滅危機種」に入っています。もっとも、オーストラリア産ジュゴンはかなり数が残っているので、まだ安心ですが、沖縄産ジュゴンは「野生絶滅種」に限りなく近いといえます。

 ワシントン条約(CITES条約)は、絶滅の恐れのある生き物の輸入・輸出を規制する国際条約で、たとえ水族館といえども簡単に珍獣を購入できないほどの厳しい法律です。この条約には「付属書」というリストが付いていて、ジュゴンは 「1」、つまり「最重要保護動物」に指定されています。

 ジュゴンばかりでなく、この南西諸島全体が保護の対象です。

 現在、国際的な自然保全の団体が2つあります。それはWWF(世界自然保護基金)とIUCN(国際自然保護連合)です。この2団体と、UNEP(国連環境計画)の3者が、1980年に「世界環境保全戦略」を作成しましたが、この中で南西諸島は、「優先的に保全を図る地域」に選ばれています。この地域が、世界的にいかに珍しく貴重な自然に包まれているかが評価されているのです。

 さらに、こんどはWWFが独自に選んだ「世界の保全すべき特に重要な16の地域」(1990年作成)にも、南西諸島は含まれています。

 日本ではどうでしょうか。

 前にも書きましたが、ジュゴンは戦前から天然記念物に指定されています。

 水産庁の「日本の希少な野生水生生物に関するデータブック」によれば、「絶滅危ぐ種」と評価されています。

 日本ホ乳類学会でもIUCNと同じく、「野生では絶滅の一歩手前」という悲しい評価をしています。

 また、日本復帰前の1966年に、琉球政府は世界でも珍しいジュゴンの切手を発行し、ジュゴン保護を啓蒙しました。

 このように悲惨な状況の一方で、じゅごんの保護に力を尽くしている人々もいます。日本では、西脇昌治博士が先頭に立ち、鳥羽水族館の長期飼育の実績がこれに続いています。

 1977年より3年計画で、文部省が海牛類に関する国際調査を行いました。1978年5月から1ヵ月間、神谷敏郎教授は世界中を調査しました。オーストラリア北部の島では、サモア系の島民によるジュゴン狩りが許可されており、1日1頭の割合で捕獲されていたことも分かりました。(オーストラリアは国内での動植物の採集には徹底した自然保護規制のある国です。サモア系島民のジュゴン狩りは特別な例外あつかいです)

 1979年5月、ジェイスズ・クック大学(オーストラリア)で海牛目の国際シンポジウムが開かれました。8ヶ国、42名が出席。

 1979年12月、日本で最初のジュゴン国際シンポジウムが東京大学海洋研究所で開催されました。西脇昌治博士がコンビーナーとなり、アメリカ・インド・インドネシア・エジプト・オーストラリア・パプアニューギニア・日本より約50名の海牛目研究者が集まりました。

 1983年2月、スリランカ・コロンボ市でインド洋の海獣に関するシンポジウムが開かれました。

 このように、日本の内外で海牛目の保護が進んできています。しかし、そういった人々の努力に水をさすような事も起こっています。

 1983年、ペルシャ湾の原油流出事故で、53頭のジュゴンの死骸が発見されました。

 また1991年の湾岸戦争では、イラクのサダム・フセインの行なった、原油をペルシャ湾へ流す軍事行為(というより環境テロ)により、多くのジュゴンが死亡したそうです。

 さて、鳥羽水族館は、1995年11月15日〜17日に「ジュゴンに関する国際シンポジウム」を開催しました。神谷俊郎博士がコンビーナをつとめ、ヘレン・マーシュ教授、ダリル・P・ドムニング博士(アメリカ・ハワード大学教授)ら、アメリカ・オーストラリア・オランダ・フィリピン・南アフリカ・日本の海牛目研究者80名が参加。高い評価を得ました。

 その他にも、鳥羽水族館は、フィリピンの環境天然資源省、フィリピン大学海洋科学研究所、WWFフィリピン委員会と共同プロジェクトを組んで、ジュゴンの調査・研究・保護を展開しています。1985年から10年間にわたる共同研究の成果が、「Dugongs of the Philippines」(鳥羽水族館・刊、1995年)という本にまとめられています。また、フィリピンの漁師たちにジュゴンの重要性を説得する「インフォメーション・キャンペーン」や、子供たちに「ジュゴンを食べないで」と親を説得してもらうためのキャンペーンを行っています。もちろんこれは、ジュゴンを食べる習慣を持ってきたフィリピンの伝統文化を否定する事になる訳ですから、簡単には進みませんし、進めてもいけません。人間とジュゴンが共に生きられるにはどうしたら良いのかという難しい問題があります。

 それは日本の沖縄でも同じです。「漁師」「アメリカ軍基地」「環境開発」とどう向き合えば良いのでしょう。例えば、次のようなアイデアを出す人もいます。

  1. 動物の保護には、やはり法律が必要です。官庁(環境庁、文部省など)や政治家へプッシュして、「ジュゴンそのもの」だけでなく「ジュゴンの住む海ぜんぶ」を天然記念物に指定するのはどうでしょうか。また、ジュゴンの保護区を作る法律を作るなど。また、ボン条約やラムサール条約などの国際法に日本が加盟するよう、プッシュするのも良いかもしれません

  2. ジュゴン研究のメッカ・鳥羽水族館は、日本やフィリピンの官庁と共同でプロジェクトを組んだり、調査研究をしています(特に文部省)。だから、今回のような、「ジュゴン保護=日本政府にたてついてアメリカ軍基地建設を阻止しようとする」ことには、心の中では賛成でも、表だって反対の態度は取りにくいのではないでしょうか。そういう協力ではなく、世界のジュゴン研究者や研究所の紹介であれば、表だたない範囲で協力してくれるかもしれません

  3. 八重山諸島などでは、ジュゴンは絶滅したと考えた方がいいでしょう。「日本産ジュゴンの住む海は、沖縄本島・東海岸の金武湾〜国頭村のみ」と仮定して保護運動を進めるべきでしょう

  4. ヨーロッパ人にとって、マナティーは割と身近な生き物ですが、ジュゴンは大変な珍獣です。ヨーロッパやアメリカへジュゴン保護を呼びかける時は、「マナティーの親戚の動物」「ジュゴンの生物学的な貴重さ、珍しさ」を強調し、それだからこそ「アメリカ軍基地の脅威」を強調すると良いのでは

  5. IUCN(国際自然保護連合)の海牛目スペシャリスト・グループが、ニュースレター「サイレニュース」を発行しているので活用できるのでは

など、皆さんもよいアイデアをどんどん考えてください。

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