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7 沖縄県でのジュゴン保護と目撃の記録

(1995年〜1996年)

1995年 この頃から、細川太郎(ジュゴン ネットワーク沖縄会員)は個人的に沖縄の野生のジュゴンを探し続けていました。
1996年9月8日 沖縄県民投票で、アメリカ軍基地の縮小・整理を89%の県民が支持しました。

(1997年)

1997年 日本政府の調査団は、アメリカ軍ヘリポート基地の建設予定地でジュゴンを目視し、その姿をビデオにも収めたらしい(?)のですが、それを公表するとジュゴン保護の声が高まるため、隠してしまったそうです。
1997年11月5日 日本政府が海上へリポート基地建設案を提示しました。が、そのお粗末な報告書に対し、ある科学者は「もし私の学生が、こんな非科学的な調査をしたら単位は出しません」とコメントする。
1997年7月 沖縄県・名護市・辺野古に、アメリカ軍・普天間基地の機能を移転する計画が持ち上がりました。
1997年7月8日 海上ヘリポート基地建設に反対して、名護市で市民投票条例制定を求める署名運動が始まりました。
1997年11月 「LOVE ジュゴン ネットワーク」が結成されました。
1997年12月1日 第1回ジュゴン公開講座が開かれました。
1997年12月7日 名護市・辺野古にて、LOVE ジュゴン ネットワークが第1回のジュゴン探索をし、ジュゴン・トレンチらしきものを2ヶ所発見しました。ダイバー参加者は約40人。
1997年12月13日 第2回ジュゴン公開講座が開かれました。
1997年12月19日 WWF日本委員会より、海上ヘリポート基地建設反対の意見書が、日本政府へ提出されましたが、政府からの返答はありませんでした。
1997年12月 海上ヘリポート基地建設の是非を問う市民投票を前に、防衛庁の職員200人が名護市民を個別訪問し、基地建設を訴えました。
1997年12月21日 名護市で市民投票が行われ、基地建設反対派が勝利しました。建設反対が53%、建設賛成が45%でした。

(1998年)

1998年 沖縄県知事選で、アメリカ軍基地縮小派の大田昌秀が敗れ、基地維持派の稲嶺恵一が当選しました。
1998年1月13日 日本テレビ那覇支局が、野生のジュゴンの映像(日本初)をとらえました。
1998年1月〜10月 LOVE ジュゴン ネットワークが、WWF日本委員会の助成金を得て、ジュゴンを見た人々の情報を集め出しました。1997年の1年間で52の目視が報告されました。
1998年1月25日と26日 LOVE ジュゴン ネットワークとWWF日本委員会のメンバーら11人が、名護市・辺野古の藻場やサンゴを予備調査しました。その調査中に野生のジュゴンの水中遊泳シーンの撮影に成功しました。
1998年1月26日 報道各社がヘリコプターより、野生のジュゴンの映像をとらえました。
1998年1月26日 第3回ジュゴン公開講座。約70人が参加しました。
1998年2月 名護市・市長選で、海上ヘリポート基地 建設賛成派の岸本建男が当選しました。その3ヶ月前の市民投票では、基地反対派が勝利しています。この「ねじれ現象」に、名護市民の苦しい思いが反映されています。
1998年2月25日 沖縄で発行されている水産雑誌「魚まち(いゆまち)」の第18号に、日本初の野生ジュゴンの撮影成功の特集記事が載りました。
1998年4月30日
と5月1日
LOVE ジュゴン ネットワークが、公聴会でジュゴンの混獲防止の要請をしました。
1998年春 ジュゴン研究会(粕谷俊雄ほか)が、沖縄本島でセスナ機によるジュゴンの目視調査を行ないました。東海岸で10の目視をしました。
1998年夏 ジュゴン研究会がアマモの食べ跡の調査をしました。沖縄本島・東海岸にジュゴン・トレンチが多いことが分かりました。
1998年8月20日 沖縄本島北部の国頭村・安田の沖合を泳ぐジュゴンを、パラグライダーからの撮影に成功しました。
1998年10月24日 ジュゴン3頭の撮影成功が報道されました。野生ジュゴンの姿が次々と発見されました。
1998年11月13日 ジュゴンの乳児1頭(オス)が混獲され、死体で発見されました。1998年11月4日第4回ジュゴン公開講座が開かれました。

(1999年)

1999年4月13日〜16日 八重山諸島でセスナ機からジュゴンの目視調査を行ないましたが、一頭も発見できませんでした。
1999年4月20日 ジュゴン6頭の撮影成功が報道されました。
1999年6月27日 「LOVE ジュゴン ネットワーク」から「ジュゴン ネットワーク沖縄」に名称を変えました。
1999年8月26日〜31日 海藻の豊富な西表島(いりおもてじま)周辺海域において、ジュゴンの食べた海藻の跡を調査しましたが、見つかりませんでした。
1999年10月15日 「ジュゴン保護基金」が設立され、立ち上げ集会が開かれました。
1999年11月30日 沖縄で発行されている水産雑誌「魚まち(いゆまち)」の第28号に、野生ジュゴンの特集記事が載りました(2回目)。
1999年12月13日 WWF日本委員会が、日本産ジュゴンの数少ない生息地・名護市辺野古へのアメリカ軍基地移設を批判しました。
1999年12月28日 日本政府は、海上ヘリポート基地の建設を、名護市・辺野古に決定しました。
1999年暮れ 沖縄県は、アメリカ軍 普天間飛行場を名護市へ移転することを受け入れました。

(2000年)

2000年1月27日 ジュゴン ネットワーク沖縄が、ジュゴン保護の要請書を沖縄県、環境庁、文化庁などに提出し、沖縄県庁で記者会見をしました。
2000年2月15日 ジュゴン保護基金が「ジュゴン新聞」第1号を発行しました。
2000年2月18日 WWFフィリピン副委員長のロメオ・トロノが、名護市・辺野古沿岸を視察しました。
2000年2月19日〜20日 第5回ジュゴン公開講座(主催・WWF日本委員会、ジュゴンネットワーク沖縄)に約130人が参加しました。講演者:粕谷俊雄、ロメオ・トロノ、小森繁樹、池原貞雄、遠藤庄治。
2000年6月 ジュゴン保護基金が、ジュゴンの事前調査の開始を予定しています。
2000年7月 沖縄・九州サミット開催予定。
2000年7月中旬 ジュゴン保護基金委員会が、ジュゴンの国際シンポジウムと第2回御万人(うまんちゅ)祭りの開催を予定しています。
2000年8月 ジュゴン保護基金が、ジュゴンの本調査の開始を予定しています。
2000年9月〜10月 ジュゴン保護基金が、IUCN(国際自然保護連合)世界大会で沖縄のジュゴンの現状を報告する予定です。
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