1997年 |
日本政府の調査団は、アメリカ軍ヘリポート基地の建設予定地でジュゴンを目視し、その姿をビデオにも収めたらしい(?)のですが、それを公表するとジュゴン保護の声が高まるため、隠してしまったそうです。 |
1997年11月5日 |
日本政府が海上へリポート基地建設案を提示しました。が、そのお粗末な報告書に対し、ある科学者は「もし私の学生が、こんな非科学的な調査をしたら単位は出しません」とコメントする。 |
1997年7月 |
沖縄県・名護市・辺野古に、アメリカ軍・普天間基地の機能を移転する計画が持ち上がりました。 |
1997年7月8日 |
海上ヘリポート基地建設に反対して、名護市で市民投票条例制定を求める署名運動が始まりました。 |
1997年11月 |
「LOVE ジュゴン ネットワーク」が結成されました。 |
1997年12月1日 |
第1回ジュゴン公開講座が開かれました。 |
1997年12月7日 |
名護市・辺野古にて、LOVE ジュゴン ネットワークが第1回のジュゴン探索をし、ジュゴン・トレンチらしきものを2ヶ所発見しました。ダイバー参加者は約40人。 |
1997年12月13日 |
第2回ジュゴン公開講座が開かれました。 |
1997年12月19日 |
WWF日本委員会より、海上ヘリポート基地建設反対の意見書が、日本政府へ提出されましたが、政府からの返答はありませんでした。 |
1997年12月 |
海上ヘリポート基地建設の是非を問う市民投票を前に、防衛庁の職員200人が名護市民を個別訪問し、基地建設を訴えました。 |
1997年12月21日 |
名護市で市民投票が行われ、基地建設反対派が勝利しました。建設反対が53%、建設賛成が45%でした。 |
1998年 |
沖縄県知事選で、アメリカ軍基地縮小派の大田昌秀が敗れ、基地維持派の稲嶺恵一が当選しました。 |
1998年1月13日 |
日本テレビ那覇支局が、野生のジュゴンの映像(日本初)をとらえました。 |
1998年1月〜10月 |
LOVE ジュゴン ネットワークが、WWF日本委員会の助成金を得て、ジュゴンを見た人々の情報を集め出しました。1997年の1年間で52の目視が報告されました。 |
1998年1月25日と26日 |
LOVE ジュゴン ネットワークとWWF日本委員会のメンバーら11人が、名護市・辺野古の藻場やサンゴを予備調査しました。その調査中に野生のジュゴンの水中遊泳シーンの撮影に成功しました。 |
1998年1月26日 |
報道各社がヘリコプターより、野生のジュゴンの映像をとらえました。 |
1998年1月26日 |
第3回ジュゴン公開講座。約70人が参加しました。 |
1998年2月 |
名護市・市長選で、海上ヘリポート基地 建設賛成派の岸本建男が当選しました。その3ヶ月前の市民投票では、基地反対派が勝利しています。この「ねじれ現象」に、名護市民の苦しい思いが反映されています。 |
1998年2月25日 |
沖縄で発行されている水産雑誌「魚まち(いゆまち)」の第18号に、日本初の野生ジュゴンの撮影成功の特集記事が載りました。 |
1998年4月30日 と5月1日 |
LOVE ジュゴン ネットワークが、公聴会でジュゴンの混獲防止の要請をしました。 |
1998年春 |
ジュゴン研究会(粕谷俊雄ほか)が、沖縄本島でセスナ機によるジュゴンの目視調査を行ないました。東海岸で10の目視をしました。 |
1998年夏 |
ジュゴン研究会がアマモの食べ跡の調査をしました。沖縄本島・東海岸にジュゴン・トレンチが多いことが分かりました。 |
1998年8月20日 |
沖縄本島北部の国頭村・安田の沖合を泳ぐジュゴンを、パラグライダーからの撮影に成功しました。 |
1998年10月24日 |
ジュゴン3頭の撮影成功が報道されました。野生ジュゴンの姿が次々と発見されました。 |
1998年11月13日 |
ジュゴンの乳児1頭(オス)が混獲され、死体で発見されました。1998年11月4日第4回ジュゴン公開講座が開かれました。 |